儀  仗 2

 役目を終えた翌朝、自邸の帰り道に博雅は牛車の中で考える。

 ――重信が、恋?それなら噂の一つや二つ立っても可笑しくなかろうに・・・・・・。

 噂好きで宿直とのいの時間などそれだけで過ごせてしまえる殿上人が、このような格好の材料を見逃す筈はない。浮いた噂が立つことなく、兄以上に仕事熱心な重信のことであるからその手の噂が立てばあっという間に広がるであろうことは目に見えている。噂の真相など確かめもせずに支言ささえごとをする輩も中にはいる。そういった者とは距離を置いている博雅だったが、重信にそのような噂が立ったのであれば同じような傾向を持つ自分を揶揄しに来る輩が居ないということに、博雅はいささか違和感を感じていた。博雅の耳に届いていないという事実がある以上それは尚の事だ。

 「こそ言えどなぁ・・・・・・。」

 独りごちる。

 重信と会う機会は作ろうと思えばどうとでもなる。しかし雅信に言われたからとて自分でそれを確かめたわけでもない。博雅は先ず自らの目で重信と会ってみることにした。勿論自分が嘘をつけない性分というのは充分承知しているので、何が何でもという意気込みは捨てた。捨てたところでどうにもならないと本人は全く自覚していなかったが。

 自宅に戻るや否や、博雅は早速重信のところに文を届けさせた。




 夕刻、博雅邸に青柳襲をまとった重信が酒のあてを手にやってきた。迎えた博雅は青紅葉の狩衣を着ていた。顔を合わせた重信に、少しばかり季節がずれたかなどとはにかんで笑ってみせる。

 「こうして会うのも久し振りだな。」

 博雅が口を開く。二人の希望で酌人を置かず、対飲で冷やされた酒を酌み交わす。御簾は上げてあり、時折夏の終わり独特の匂いを含んだ風が吹き抜けていく。

 「暑い暑いと言い続けていた夏も、こうして終わりを迎えようとしているのを感じると、少しばかり寂しい気もするが・・・・。」

 「確かに寂しくもあるが季節は移ろうていくもの。誰にも止められわせぬよ。だからこそ愛おしいのかもしれぬな。」

 二人して風の流れ来る方向に顔を向ける。草いきれをたっぷりと含んだ空気が、包み込むようにして二人の肌を撫でていく。一言も発することなく博雅は懐から竜笛を取り出してそっと息を吹き込む。曲目を認識し、重信もまた一足遅れて博雅に倣う。邸宅の奥でそれを耳にした女房は、おかわりの酒を用意しようとしていた手を止めた。

 二曲、三曲と何事もなく曲が進んで行くように見えた矢先、曲の途中で重信の笛の響きに常ならぬ違和感を感じて博雅の笛がふと止まる。重信の笛は徐々に音を小さくなり、やがて消えた。閉じていた目を開くと、笛を下ろすことも忘れ、構えたままの姿勢で博雅が重信を見つめていた。その顔は若干瞠目していた。

 無言しじまの時が訪れる。



→戻る

→次へ